(青臭い)使命感。

 現行制度における1年間の司法修習のカリキュラムは,実務修習,選択修習及び集合修習により構成されています。そのうち,実務修習は,刑事裁判,民事裁判,検察及び弁護の4つにより構成され,修習生は,2か月ずつ,合計4クールで研修することになります。その後,一定の選択肢が与えられて自らカリキュラムを組む選択修習と,司法研修所で課題に即し起案などをする集合修習が控えています。これらのカリキュラムを終えると,考試(いわゆる2回試験)を受け,一定の水準を満たす者に限り,司法修習を了することになります。私は,現在,4クール目の弁護修習を終え,これから選択修習に入ります。
 ひととおりの実務修習を経て,裁判官,検察官及び弁護士の仕事がどのようなものであるかに触れてきましたが,本当に勉強になることばかりです。その学びの過程では,当事者の方々がいらっしゃる生の事件に触れるわけですが,当事者の方々の秘密ひいては司法制度に対する社会の信頼を害することがないように,生の事件の出来事について,こうしたブログの場で語ることはできません。しかし,これまでの8か月だけでも,語りつくす言葉を調達することが困難なほど,様々な経験をしてきました。
 今年は,今話題の円高にも関わる折からの不況もさることながら,司法制度改革により徐々に明るみに出てきた法曹界の問題点,今年の3月11日の東日本大震災からの復興の問題のように,これからの社会をどうしていくかがクルーシャルに問われるものに満ちています。このような状況においては,司法修習を通じて「学ぶ」というレベルにとどまっているのは,しばしばもどかしさを覚えます。「今,自分には社会のためにできることがないのだろうか」という無力感がないとも言えない心境です。しかし,この鬱憤は,司法修習を終えて法曹になってからの仕事の日々に備えて,使命感を醸成するに十分です。人間1人のできることが微々たるものに過ぎないことは重々承知していますが,それにもかかわらず,もとい,そうであるからこそ,自分に求められる役割を敏感に察知し,考えて,社会貢献していきたいと強く思っています。