高校履修問題。

 高校履修問題について、何が問題かと言うと、このように大したことない問題を無駄に大きくしている情報の伝え手(マスコミ)及び受け手(一般市民)の稚拙さだと思います。
 そもそも、ちょっとくらい履修漏れがあったとしても、それが学生にとってそんなにマイナスなのかと考えると、鼻で笑えば足りる事柄だと思います。それにもかかわらず、連日「教育行政は何をやってるんだ」というステレオタイプが飛び交っている毎日です。しまいには、それに対して便乗する一般人もいるから、馬鹿馬鹿しい話です。
 そして、そのようなステレオタイプを発し、又は受容する人は、あまり教育行政以外の要素について、言及しない傾向があります。なぜなら、高校履修問題に関する範囲で教育につき考えてみると、履修問題が起こる方が普通だという事実に気づくことができてしまうからです。
 親は、その多くが子どもの受験的大成を望みますから、受験に不要な科目まで執拗に勉強することに対して積極的であろうはずがありません。それどころか、地方の高校に至っては、予備校的な指導(つまり、必修科目の一部だけを集中的に授業すること)まで高校に求めているのが実情だそうです。子どもは、心のそこから学問的探究心を持って勉強するのではなく、競争原理の勝者となるために勉強するのが大方ですから、やはり必修科目全般について勉強できるように高校に働きかけているとは思われません。社会は、必修科目全部を学ぶことが、人生に必要不可欠のものではなく、実際はその一部が受験で必要になるだけで、その残りまでなぜやるかについては、今までみんながやってきたことだからやらないよりは良いのではないかという曖昧模糊な惰性的・希望的観測で必修科目の存在意義を見出しているにとどまります。つまり、人々の認識次元において、必修の履修をサボることは、その実、何ら深刻なことではないのです。
 このように考えてみると、この問題は、マスコミが教育行政をたたく話題を保つために報道しているに過ぎず、一般市民もそれに浅い認識だけで便乗しているに過ぎないと考える方が的を射ているように思われます。だから、この問題の報道を見るくらいなら、笑い以外何ももたらさないようなバラエティ番組を見る方がよほどマシだと言えます。